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澤井

巨椋池

見出しは「おぐらいけ」と読みます。名前から連想されるように大きな池でした。
上の文は過去形ですね。
そうです。実は明治の初めまで、京都の南部にあった池です。
現在の京都市伏見区のおよそ半分ぐらいの大きさでした。
場所は、伏見区・淀の辺りから、宇治川・木津川・桂川の合流点を含み宇治までありました。
  京都からJR奈良線に乗ると、桃山から宇治まで大きく東に迂回しています。
  これはJR建設当時に残っていた巨椋池を迂回したためです。
大正の初め頃までにどんどん干拓され、今では地名以外ほとんどその面影は残っていません。
この池と、淀川のおかげで大阪湾から京都まで楽に船が入れました。
京都・伏見と言えば昔は多くの酒屋さんの蔵が並んでいたそうです。
  舟運が酒米の搬入と、酒の搬出を支えていた訳です。
時代劇で、鳥羽伏見の戦いとか、新撰組とか乾燥地で戦っていますが、巨椋池をめぐる湿地帯だったのではないでしょうか

瀬田川の洗堰(琵琶湖マラソンで瀬田川を渡るところ)の完成で治水が行き届き、遊水地としての役割が終わりました。 跡地には競馬場や工場ができ、平成になって住宅地までできて巨椋池は消滅しました。

最終更新:17/08/25
新規掲載:04/04/28
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